
娘の成人式先撮りの為に久々に目にすることとなった私の振り袖。
我が家での保管に不安な母が持ち帰る前に、しばし鑑賞。
次はいつ会えるかなー。

これは祖母が、呉服屋であるいとこと相談しつつ、わたしのイメージでオーダーしてくれたもの。
当時、着物に興味のなかったわたしも、この振り袖の持つ雰囲気はまさに好み!で魅了された。

厚手のとろんとした絹地に自由奔放に描かれている花々。
そこにはふんだんに金箔も施され、すっきり華やかな正統派でありつつ、
洋の花も盛り込まれ、和なのに洋で、洋だけどしっかり和。
まさにわたしが作陶時にテーマにしている世界。
当時祖母は、何を思ったか、皇居にお呼ばれしても着ていけるものを、などと(もちろんそれは単に孫に最高に良いものをあつらえたいという気持ちの比喩)こだわってくれたよう。確かにきちんと保守的なのだけれどそれだけに収まらないこの着物の持つ奔放な世界観。
確か、染めは京都、デザインは東京の作家さんだと言っていて、
孫のわたしは
おばあちゃん、皇居用で京都だけに終わらぬそのセンス、やるねー
などと思ったもの。
そんなこの着物の持つ正統派でありつつくっきりマンガチックなキュートさ、透明感、ピュアな感じ、いまだに好きでたまらない。
ついついお気に入りの絵を眺めるがごとく、魅入ってしまう。
そしてそんなセンスに引き継がれて行く精神性のようなものも感じる。
わたしのいまのどこか偏った好みは、厳しいながらも型にはまらぬ祖母に育った母からであって、そんなあたりがまた良くも悪くもきっと娘に引き継がれて行くのかもしれない。
そういう意味では、この振り袖は祖母から私へのもののみならず、
それ以上にひ孫への最大のプレゼント。
そんな精神性ある着物は、なによりのメッセージ、
20歳になる娘へわたしから唯一与えられる財産。
ふと子育てって我が家一代だけで成り立つものではなく、
受け継がれて行くもののなのかもしれない。
などと思う。
そう思うと、改めて、おばあちゃんありがとう!(ブログの存在も知っている102歳のやんちゃな祖母へ)
そんな大好きなこの振り袖、今回当時のわたし以上に着物に興味のない半ば無理矢理着せられた感のある娘に意外にも似合う事発覚。
まさに馬子にも衣装。
しっかり長さのある帯の重さから、まるで亀になった気分だ、
などといっていたけれど、
日本の文化を体感する意味でも良い機会だったと思う。
次は娘の娘に。
それが無理なら、ニューヨークあたりでドレス代わりにでも着てもらいましょ。